リア充とは何?誰もが一度は妬んで使った事があるその言葉の意味は
リア充の意味とは
実際の現実の生活、つまりリアルでの生活が充実している人間のことを言う。
『リアルが充実』⇨『リア充』と略される。
これはネットから生まれた言葉でネットスラング用語となっている。
もともとネット上で暇を持て余していた人たちが現実世界(リアル)で恋人と楽しんだり、友達と遊んだりなど、
リアルが充実している人に対して出来た言葉。
ネットの住人からするとリアルが充実している人は疎ましく妬ましいものであり、
『リア充爆発しろ』
という言葉も生まれている。
だからシンプルに言えば
リアルが充実していればとりあえずリア充となる。
だが・・・
少し難しい事がある。本題のリア充の定義や意味を勘違いしてないか?
という部分だ。
リア充の定義とは?それはネットの世界の人の定義じゃないの?
リア充の定義としては
- 友人関係が充実している。
- 恋人がいて充実している。
- 暇がなく予定が埋まってて充実している。
- お金に余裕があり生活が充実している。
このようなものがある。
ただ人によっては
- パーティーをする人たち(パリピー)
- Instagramでインスタ映えの写真にあふれる人たち
- はっちゃけてる人たち
- 男女の交友が激しい人たち
などもリア充という認識でいる。
ただどうだろう?
話を戻す。
リア充とはリアルが充実している人達の事。
つまり充実しているかどうかはその人判断であり、充実の感じ方は人それぞれ。
なのにリア充の定義というものは定着している。
これはなぜか??????
それはリア充の定義はネットの世界の人たちの『本当はこんな事したい』の願望を集めたものではないだろうか?
釣りが好きな人が一人で釣りに出かけている事を誰もリア充とは言わない。
これが友達とみんなで釣りだぜイエーイ!だったらリア充扱いされる。
これはあくまで『楽しめる友達関係が欲しい』とリアルを求めていた人が思っていただけにすぎない。
だが現代ではその定義が固定されて、
リア充は友達が多くて恋人がいて仕事が充実しててセレブリティな生活してて・・・・
というものになっている。
リア充とは現実を充実させている人の事であって固定の形はないのだが、
定義としては変に定着してしまった。
でもリアルが充実してりゃ何でもリア充でしょ!!
本当のリア充はいちいちリア充アピールをしない。
さて、では改めてリア充に関して話していこう。
先程も言ったリアルが充実している人はリア充という事を頭において話すと、
本当のリア充はリア充アピールする事は無いのではないだろうか。
リア充とは充実している事であり、言い方を変えると満たされている事になる。
この満たされている状態で誰かに「ねぇ見て?リア充でしょ?」と求める事は認めて欲しい承認欲求であり、
みんながうやらましがったり、いいなぁと思ってくれないと満たされないことになる。
つまり他人に羨ましがられたり嫉妬されないと充実を実感できない人は本当のリア充ではない。
本当のリア充はきっと他人評価なっど関係なく充実した人生を楽しむだろう。
リア充の本当の使い方って『なりたい自分』に対して。
自分が充実しているときに『リア充』と言う事はほぼないだろう。
リア充は他人に対して思うことや放つ言葉だ。
行動やシチュエーションなどは人それぞれあっても、
やるべきことが出来て、それが楽しくて、満たされている。
他人に対してそう思ったらそれがあなたの目指すリア充なのだろう。
なりたかった自分がリア充。
リア充だなぁ!って思ったらそれがおそらく自分が一番望んでいる事なんだろうな。
でもやっぱ違うか。
「あいつマジリア充だよなー」
「あいつマジなりたい自分だよなー」
いや・・あながち間違ってないか。
「私ってマジリア充」というアピールの勘違いがわかる話。
リア充は本来友達が多いとか恋人がいるいないは関係ない。
何度も言うが充実している事が大事。
しかしリア充を勘違いしている人たちはおかしなアピールをする。
何かと『高級』を付け加えるリア充アピール。
高級焼肉食べてます。
高級寿司がなんたら。
高級ブランドの服がどうたら。
それは贅沢してますって言いたいのか?高級=リア充ってことか?お金持ってますアピール?
本当の金持ちは高い安いという概念があまりない。
だからそもそも『高級』とすら思ってない。
強いて言うなら質が良いものだからそれなりのお金がかかると思っている。
収入格差などで満足を得ているならそれはリア充ではない気がする。
インスタ映えのための遊びは本当にリア充?
余計なお世話だよ!!と言われそうだがそう思ってしまう。
最近はインスタ映えのために「いかに楽しそうにみせれるか?」というシチュエーションを探して遊びに行く人がいるようだ。
いかに楽しむか⇨インスタ映えが一番楽しい。
なら問題ないが、
インスタ映えのために楽しいを削ってでもいい写真を!!!
では本末転倒な気がする。
リア充な写真を取るためだけにデートの約束をする人もいるらしい。
意識高い系はリア充ではなく自己アピールに必死なだけ。
まず本当に意識高いならいちいち意識高いでしょ?って話を他人にべらべら話すのが意味のないことってわかってる。
それを能書きたれて話してる時点でアピールでしかない。
意識高い系はいかにリア充かを話す事が一番の満足となってしまっている。
どちらかというと話してる内容よりも話している今があなたにとってリア充でしょ?笑
必死に自分をつくってるあたり心はリア充というより自信の無さで空っぽだ。
短気なリア充。満たされてんならそんなすぐキレるなよ。
人は心理的に心の余裕があるとおおらかになるものだ。
それはリア充でも同じように充実していると結構心は広く穏やかになっていく。
なのにリア充アピールするくせに何かと必死で短気な人がいる。
「充実してるならそんなすぐキレんなよ。気に入らないことだらけかい?」
SNSのためのリア充?リア充代行サービス。
近年『リア充代行サービス』と言うものがあるのを知っているだろうか?
リア充に見せるために友達代行みたいな感じで数時間一緒に写真を撮ったりしてくれる人を派遣してくれる。
というものだ。
闇が深すぎる。
ビジネス的に利用するなら広告的な効果もあるが、
SNSのためにリア充でありたいの?
リア充の定義がよくわからなくなっている。
リア充とは自分の心を映し出すものなんだな。
『リア充爆発しろ。』
ってどういう意味?リア充とは何?
なんて聞かれたら
羨ましがって嫉妬して妬んでるだけよー。
って答えるのが一番シンプルだ笑。
しかし羨ましい!いいなぁ!あーなりたいなぁ!と口に出したり心で思うと
自分が負けているみたいな事実を叩き込まれそうで怖いのだろう。
って思うとリア充な経験をしているのにリア充アピールする人たちって
実は『リア充』って言葉に惑わされてるだけで本当に自分のやりたいことではないかもしれないね。